2026年3月11日で、東日本大震災から15年になる。
この節目に防災について改めて考えるとき、私はどうしても引っかかる言葉がある。
それが、時折ネット上などで見かける「楽しみながら学ぶ防災」というフレーズだ。
もちろん、言いたいことはわかる。
防災という言葉には、辛そう、堅い。面倒くさいというイメージがどうしても伴う。
だから入口をやわらかくして、まず関心を持ってもらおうというその意図自体は理解できる。防災イベントや体験会の導入としては、機能する場面もあるだろう。
だが、そこで思考が止まるなら、その行為は無意味だ。
「楽しく学ぶ防災」の怖いところ、それは参加者が、”ああ、こんな感じでやれば何とかなるんだ”という勘違いの意識を持ってしまうことだ。
そしてそれは、より実用的だが厳しいトレーニングは避けたいという忌避意識を助長し、これで(多分)大丈夫という間違った安心感を抱かせてしまう。
人は、危険に対して何かしなければという意識の裏に、何かしておけば大丈夫と思いたいという心理を抱えている。
入口は楽しく入っても、そこから本当に役立つところまできちんとたどり着けないのであれば、楽しく学ぶ防災は百害あって一利なしになりかねない。

こでひとつ、はっきり言っておきたいことがある。
災害避難サバイバルの本質は、楽しいものではない。ましてや、キャンプでは決してない。
災害は遊びではなく、突然日常を奪うものだ。
家が潰れ、避難所にも入れず、不便で、寒く、暑く、臭くて、汚れて、腹が減って、先が見えない。
水も足りない。電気もない。体も休まらない。
また例え避難所に入れたとしても、周囲にも気を遣う。
思うように眠れず、思うように食えず、思うように排泄もできない。
しかもそれは何日も、下手をすれば何週間、何か月と続くかもしれないのだ。
現実は、そういうもの。
そこから目をそらした訓練が、いざという時に本当に役に立つのか。
私は、かなり疑わしいと思っている。
「楽しく」「気軽に」「体験しながら」——そうした言葉で防災を包みすぎると、訓練からは痛みが抜け、臭いが抜け、苛立ちが抜け、消耗が抜ける。
つまり、現実そのものが抜け落ちる。
そして最後に残るのは、「防災をやった気」「備えたつもり」だけだ。
それは危うい。なぜなら災害は、こちらの気分に合わせてくれないからだ。
避難生活は遊びのキャンプではない。
この一線は、何度でもはっきり引いておくべきだと思う。
いつものキャンプは、好きで自分で行くものであり、自分で選ぶ。
そして嫌ならやめられる。帰ろうと思えば帰れる。道具も場所も、ある程度は自分で整えられる。
だが災害は違う。突然始まり、選べず、断れず、逃げ場もない。準備が整うのを待ってもくれない。
だから、避難生活を「ちょっとハードなアウトドア」くらいに捉えるのは危険な勘違いだ。

しかし、それでもなおキャンプやアウトドアに意味があるとしたら、それは「楽しいから」ではない。
不便と不足を、先に頭と体で知れるからだ。
・暗い場所で動くことが、どれだけ神経を削るか。
・冷えた地面の上で休むことが、どれだけ体力を奪うか。
・温かい飲み物ひとつが、どれだけ人を立て直すか。
・水が足りないだけで、生活がどれだけ崩れるか。
そういうものが人に与えるダメージは、カタログや解説記事を読んだだけでは、本当に身に沁みはしない。
雨具を通して染み込む、じっとりと濡れた肩と背筋に感じる冷たさや、暗闇でじっと耐え続けるだけの、無限に感じる時間を過ごした経験。
あるいは雨水を沸かして淹れた紅茶の入ったカップを掌で包んだ時の温かさ。
そうした思いを実際に少しでも経験して、初めて本当にわかることが、ある。
「便利と快適さが失われた時、人は何に困るのか」を体で知る。アウトドアを防災に役立てる価値はそこだ。
SNSで映えるサバイバル技術を覚えることでも、便利なキャンプ道具を並べることでもない。
快適さが失われた時、人は何から崩れるのか。限られた条件の中で、何を優先し、何を削り、どうやって暮らしをつなぐのか。
そういう感覚を感じて、自分の中に落とし込めること。そこにこそ意味がある。

本当に備えになる訓練とは、現実をやさしく言い換えることではない。
現実の厳しさを、可能な限りの範囲で直視する訓練だ。
もちろん、無茶をしろという話ではない。危険を軽視しろという話でもない。
安全管理は絶対に必要だ。
だがそのうえでなお、不便、不自由、不足、寒さ、暗さ、眠れなさ、そうした「人を削る要素」に触れない訓練は小手先に過ぎず、どこかで現実から逃げている。
防災は、気分のいい体験会ではない。
サバイバルは、格好いい技術披露会でもない。
生き延びるとは、本来もっと地味で、みっともなく、消耗するものだ。
東日本大震災から15年。
あの日を忘れないと言うなら、私たちは防災をあまり都合よく、美しく、やさしくしすぎてはいけないのだと思う。
災害はつらい、避難生活は厳しい。まず、その現実をまっすぐ見ること。
そのうえで、少しでも耐える力、少しでも凌ぐ力、少しでも暮らしをつなぐ力を、平時から育てておくこと。
キャンプやアウトドアが防災に役立つのは、そこに「楽しさ」があるからではない。
不便の中で、人がどう弱り、どう持ち直すかを学べるからだ。
「楽しく学ぶ防災」で終わるなら、未来はない。
本当に必要なのは、楽しい入口のその先で、厳しい現実から目をそらさないことだ。
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