防災への備えはどれだけ?どこまで??

“もし自分が被災したら、助けはいつ来るのだろうか?”

能登半島での地震を受けて、多くの方が強く感じている不安の一つだと思う。

また、救援が来るのが何時になるかわからないから、それまで耐えられる備えを準備しなければいけない。

これもまた同時に、強く思っていることだろう。

 

“自助、共助、公助“というキーワードは、ここ最近の防災対策で聞かれる言葉だ。自分で自分を救う、地域のみんなで助け合う、公的機関に助けてもらうという意味である。

けれど、田舎のように隣近所が顔見知りで、普段から良いコミュニケーションが取れている場合は共助が機能するけれど、都会のようにお隣さんが誰かもわからない環境では、なかなかそうもいかない。

そして、公助にしても今回の例を見るように、必ずしも迅速に助けが来てくれる訳では無いことがはっきりした。

今までは誰もが、何かあっても、比較的すぐに自衛隊や消防、警察、そしてやがてはボランティアの方々が救援に駆け付けるだろう、、そう信じ込んでいた。

でも今回は違った。

過去、東日本大震災あたりまでは、家庭で備蓄しておく 防災用品は概ね3日分というのが通例になっていた。

しかし 3.11では被害の大きさから、十分な救援が行き渡るにはもっと時間がかかり、備蓄すべき量が 3日分では到底間に合わないということが判った。

そういう事例を見ていると、首都直下型や南海トラフ地震が起こったら、能登地震同様、またはそれ以上に救援が見込めない可能性が高いだろうと感じる。

何しろ被災者の数が数だ。関東圏や関西圏などでは、地方から救援の手が差し伸べられたとしても、十分な資材が早期に全員へ行き渡るとはとても考えられない。

そして支援してくれる公的機関の隊員や職員、民間ボランティアの数も足りなくなる筈だ。何故なら彼ら自身も被災するのだから。

また、東京都は全避難者を収容出来るだけの避難所の用意は無く、災害時には出来るだけ在宅避難をお願いしますという旨を明言している。

つまり、今後 数十年に起こるであろう大規模災害では、あなたの避難生活に関わる衣食住を(全くではないにしろ)救援頼みとしたら、生き残れないということだ。

では、どうすべきか?

基本的には自助である程度、生き延びられる準備をしておくというのが、基本的な考えになる。

これは、防災に備えるアイテムを準備するだけでなく、避難生活をサバイバルできるスキルや知恵を学ぶことも含まれる。

けれど、いざ準備しようとした際に問題なのが、”そうは言うけれど、では何処まで準備すればよいの?”という線引きだ。これがなかなか難しい。

何時かは助けが来るだろう、でもその時がいつになるかが分からない。

だとすれば、それまで生き残るには、何をどのくらい用意しておけばよいのだろうか?

その準備の基準は、以下の2つになる。

1,期間

2,生活の質

 

1,は、助けが来るまでの間、自分だけでサバイバルしなければならない期間だ。ここでは、期間中に必要となる水、燃料、食料といった消耗品の種類や量を考える。

2,の生活の質は、サバイバル生活のクオリティを見極めるということになる。

具体的に言うと、十分な道具や物資が無い中で、救援が来ると思われるまでの間、自分が我慢できる生活のレベルを実現できる物資が何であるか、を考えるということだ。

快適な睡眠や十分な食事、衛生的でプライバシーの保たれる生活環境を追求すればするほど、多くの資材と消耗品を必要とする。

そうすれば当然、準備するには多くの予算や保管場所が必要になり、理想を求めるほど、災害対策としては非現実的なものになってしまう。

逆に、自分が許容できる生活クオリティが、生命を保てるぎりぎりに近ければ近いほど、モノは少なくて済み、準備や保管・運搬などは実際的になるだろう。


相反するこの2つの問題を改善していくには、どういう方法があるのだろうか?

その答えは、モノありきの準備から、ソフト面へのバランスのシフトだ。

サバイバルについての考え方、野外生活のスキルと知識、個人のメンタルや体力を磨くことで、物資を節約出来たり、身の回りにあるものを代用品として凌ぐといったことが可能になる。

また、アウトドアでの経験を積み、不便であまり快適でもない環境に慣れることで、我慢できる生活レベルの限度を拡げることもできる。

例えば今回、能登地震で良く取り上げられている問題として、低体温や水不足がある。

これらについては、“対流(風)、気化(蒸発)、接触”といった熱が奪われるメカニズムを知り、その対抗策を学ぶことで、暖房の燃料や布団、衣類を失った中でも、不十分ながらも命を落とさないレベルでの保温が出来るかもしれない。

水にしても、本当に命を繋ぐために必要な飲み水と、それ以外の生活用水を切り分けて節約したり、海や川の水を煮沸して使うといった方法、場合によっては雪や雨を溜めて浄化するという手段も考えられる。

そうした知恵や工夫、スキルを積み重ねることで、装備物資が足りない中でも避難生活の質を向上することができたり、それまでよりも長期間のサバイバルを可能にすることに繋がるからだ。

現在、ネットやマニュアル本で見ることのできる防災テクニックは、この避難生活のクオリティーを上げるためのモノものも多い。

そしてそれらは、複数の資材を必要としたり、短期的には使えるけれども、消耗品を使い切ったら終わり、、というものもある。

となると、これまで想定されていたような、短期間で救援物資が届く災害であればそれでも良かったけれども、これからの大災害に伴う、長い期間の避難生活では実際的ではないだろう。

また、よく言われるキャンプ装備が災害に活用できるという話も、このクオリティーUPの要素が主で、実際にはキャンプ場以外でソロ野営が行える装備、あるいはそれに近いスタイルでの道具でない限り、被災時にはあまり使えないだろう。

なぜなら、それらのキャンプ装備は、野外で生き残る為というよりも便利さや快適さに偏重しており、そのトレードオフとして、汎用性やコンパクト性を欠いてしまっているからだ。

例えば、大型のテントは、設置さえできれば長い避難生活でもある程度快適ではある。

だがそもそも重く大き過ぎて、自宅から避難場所までの運搬が困難だったり、多くの人でごった返す避難場所にそれだけの設営スペースを確保出来るかどうかもわからない。

また、調理や照明のためにガスや電池が必要な器具しか使えなければ、それらを使い切ってしまった時、どうやって食事を作り、体を暖めたら良いのだろうか。

 

まずは備えておくこと。

その上で、節約し、応用して兼用して、作り出せること。

そして最後は助けを得られる場所まで、自力で脱出すること。

 

壮健な男性よりも女性やお年寄りほど、よりスキルやノウハウを身に付けるべきだと思う。

モノはやがて無くなるが、培った技術や知識は無くならないし、多くの荷物を持つことが叶わず、寒さや病気に対して体力的に弱い人にこそ、より必要なことだからだ。

今、この国に暮らす私達には、スマホやPCを使えたり、車が運転できるというような当たり前のレベルで、災害への知恵と技の備えが必要だ。

 

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